先日、国際宅急便が来た。??
何かと思って中を開けたら
写真のものが!!
こ、これは武器?決して握手をせず、背後に立たれるのを極端に嫌うあの人のウェポンか?(^^;と一瞬あせりましたが、シアトル在住の友人が送ってくれたワインオープナーでした。
それと、ナパバレー産の腐貴ワイン1本。これが絶品のお味。感動ものです。
この後、実は赤羽の病院で長期入院をしています。
桜の季節も病室の中で過ごしました。
うーん、負けないぞ、と自分に言い聞かせています。


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浅草から水上バスに乗って
浜離宮にいってきました。
● 所在地 : 中央区浜離宮庭園
● 交通 :
<大手門口>
都営地下鉄大江戸線「築地市場」(E18)「汐留」(E19)・ゆりかもめ「汐留」下車 徒歩7分
JR・東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線「新橋」(G08・A10)下車 徒歩12分
<中の御門口>
都営地下鉄大江戸線「汐留」下車10番出口 徒歩5分
JR「浜松町」下車 徒歩15分
水上バス(日の出桟橋─浅草)
東京水辺ライン(両国・お台場行)「浜離宮発着場」下船
東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭。江戸時代に庭園として造成された。園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑、ボタン園などを有する。もとは甲府藩の下屋敷の庭園であったが、将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜され都立公園として開園。
歴史 [編集]1654年(承応3年)に甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てた。その後は甲府藩の下屋敷として使用された。このため甲府浜屋敷、海手屋敷と呼ばれるようになった。綱重の子である徳川家宣が6代将軍になると、将軍家の別邸とされた。浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。とくに徳川家斉と家慶の頃は、将軍の鷹狩の場であった。幕末には、幕府海軍伝習屯所であった。
慶応2年に着工した石造洋館が、明治2年に外国人接待所「延遼館」として竣工した。延遼館は、明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用された。明治3年に、宮内省の管轄となり名前も離宮と改められた。明治天皇も度々訪れるようになる。
1879年(明治12年) - 当時のドイツ皇太子(フリードリヒ)[要出典]が訪れた。日本を訪問した前アメリカ大統領のユリシーズ・S・グラントが延遼館に1か月滞在し、浜離宮内の中島茶屋で明治天皇との謁見が行われた[2]。
1889年(明治22年) - 延遼館が取り壊される。
1945年(昭和20年)11月3日 - GHQの要求により東京都に下賜される。
1946年(昭和21年)4月1日 - 都立庭園として開園。
1952年(昭和27年) - 旧浜離宮庭園として特別史跡・特別名勝に指定される。
2000年代前半 - 対岸の旧汐留貨物ターミナルが再開発され汐留の高層ビル群が林立した。
(ウィキペディアより)

中島 - 潮入の池の中央に位置する小さい島のなかの御茶屋( 中島にある休憩所 )で
お抹茶いただきました。


<チーズケーキファクトリー>石畳「抹茶&プレーン」チーズケーキ


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